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「1920年代、上海の中朝連帯組織」(『中国研究月報』第576号、1996年)
【概要】
本稿は1919年の朝鮮の三一運動と中国の五四運動を転機として1921年5月に上海で組織された
「中韓国民互助社総社」(Sino-Korean Mutual Aid Society)の成立と組織の構成、
そして、宣伝と教育活動について論じたものである。
「中韓国民互助社総社」は1921年5月28日に「総社臨時簡章」を定め、正式に成立し、
翌年の1922年9月には第2回大会を開催し、1923年には「遊芸大会」を開いた。
また1923年には関東大震災で被害を受けた中国及び朝鮮人問題を討論するために
臨時例会を開き、日本に調査員を派遣することを決めている。
「光緒新政期、政治考察5大臣の日本訪問」 (『歴史学研究』第685号、1996年)
【概要】
本稿はいわゆる清末の光緒「新政」と呼ばれる、諸政治制度の改革や立法制度の採用などにもっとも大きな影響力を与えたと思われる
政治考察五大臣の日本及び欧米の政治考察(1905年ー1906年)の中で、特に、載沢一行の日本訪問の全容を究明、再検討することを目的とする。
載沢一行の来日については日本外務省外交史料館の『政務視察の為め清国大官を各国に派遣一件」(請求番号1−6−1−20)が
詳細な記録を残しているので、その史料を手掛かりに載沢一行の日本各地の訪問日程を明らかにするほか、
東京で行われた憲法講義(穂積八束)、財政講義(荒井賢太郎)、政治講義(伊藤博文)の内容についても分析を加える。
これらの一連の講義が載沢に与えた影響はきわめて大きく、清朝の憲法大綱と大日本帝国憲法をつなげる直接のルートは
載沢の日本訪問にあったといえるのではないだろうか。
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